Interview ドクターズインタビュー
2021年10月1日、和歌山駅前のタワーマンションで
開業した和歌山駅前たまき乳腺外科クリニック。
「和歌山県の乳がん治療に貢献」することを目標とするこちらのクリニックでは、
大病院レベルの3Dマンモグラフィ(トモシンセシス)を導入し、
乳がんの予防から診断、治療にいたるまでトータルに対応しています。
「患者様が教科書」と語る院長に、クリニックの理念や特徴、
診療への思いなどをお聞きしました。
「乳がんになっても明るく元気に、その人らしく」
それが当院のコンセプトです
医師を目指された
きっけかは?
私の家はいわゆる医者家系というわけではなく、家族・親族に医療関係者はおりません。それでも小さい頃、よく風邪を引いて扁桃腺を腫らしたりしていたのですが、その時に親におんぶしてもらい開業医のところへ連れて行ってもらった記憶があります。もしかすると、それが私の医師としての原風景なのかもしれません。
現在の場所でクリニックを
開業した理由は?
和歌山県は私の地元で、地元愛がとても強いので、開業にあたって県外へ出ることはまったく考えませんでした。和歌山県内で良い場所を探すとなると、やはりそれは和歌山駅前だろうということになり、和歌山駅前のタワーマンション・アトラスタワー(A TOWER)の2階にクリニックを開業した次第です。和歌山駅前だと患者様も通院が便利ですし、県外からもお越しになりやすいと思います。
クリニックの診療理念・
コンセプトは?
これまでに出会った乳がんの患者様にいつもお伝えしているのですが、「乳がんになっても明るく元気に、その人らしく」が当院のコンセプトです。乳がんが見つかったとしても、その方は“患者”である前にまず“人”です。乳がんによりご自身の人生を暗く考える必要はありません。たとえ乳がんになったとしても、元気になってもらえる、そんな診療をお届けしたいと思っています。
「先生に診てもらって良かった」
そんな患者様の言葉が私の原動力です
院長のこれまでの経歴を
教えていただけますか?
実は乳腺の専門医になったのは40歳を超えてからで、それまでは一般内科や外科を行っていました。診療の中で乳腺の検査・治療にも携わっていたのですが、本格的に乳腺外科にシフトチェンジしたきっかけは、当時勤めていた病院が和歌山県内でも乳がん治療に注力していたことです。そこで研鑽を積み、乳がんの患者様と接する時間が多くなってきたので、自然と乳腺外科の方へシフトしていきました。
もう1つのきっかけが、乳腺の専門医制度ができたことです。日本乳癌学会の専門医制度は比較的新しい制度で、それができるまでは「専門医という肩書がなくてもやれる」と思っていたのですが、やはり患者様の安心・信頼に繋げるということを考えると、専門医の資格は持っていた方がいいと思うようになり、40歳を超えて医大へ行き、5年間勤めて取得しました。そして最後のきっかけは…とある患者様との出会いです。その方は3人の小さなお子様を持つシングルマザーだったのですが、私なりに手を尽くして治療したにもかかわらず、残念なことに亡くなられてしまいました。ベストは尽くしたつもりでしたが、それでも「もっと訓練を積んで、より良い医療を提供したい」と思うようになりました。
これまでの患者様との
関係はいかがですか?
大変ありがたいことに、「先生に診てもらって良かった」と言っていただくことがあります。これは何ものにも代えがたい喜びで、医師としての私の原動力となっています。あと、「先生と会うと元気をもらえる」と言ってもらうこともあります。これもとても嬉しいですね。当院の開業が決まった時には、「必ず行きますね」と言ってくださった方もおられます。
患者様ととても良好な
関係性を築いているという
印象です
患者様と向き合う時間である“診療”は、私がこれまで積み上げてきた知識・技術を最高のパフォーマンスで発揮する時間です。なので、できることはすべてやる。ですが、できないことははっきりと「できない」と言う。そういう姿勢で患者様との信頼関係を築きたいと思っています。
皆様にとってより身近で、
何でも相談できるクリニック
最後に、HPをご覧の方へ
メッセージをお願いします
和歌山駅前たまき乳腺外科クリニックは、皆様にとってより身近で、何でも相談できるクリニックを目指します。乳がんではないとは思うけれど「何となく不安がある」という時は、気軽に当院へご相談ください。そうして敷居は下げておりますが、医療レベルは高い水準を目指しています。そのためにも、クリニックレベルではなかなかない高性能なマンモグラフィを導入しています。
患者様に突き動かされたことが、専門医の資格の取得や開業に繋がりました。そういう意味では、私にとって患者様は“教科書”なのです。これまで患者様に色々なことを教えてもらってここまで来たのですから、これからはその恩返しがしたいです。若い頃にはそうする力がなかったのですが、今、ようやくそれができる力をつけ、環境が整ったと思っています。かつて患者様から受け取ったものを、次の患者様、その次の患者様へとバトンを繋いでいきたい、それが私の今後の目標です。